第二章 神道と美意識

 第1章で日本人の事実上の倫理規範となっている、日本人の美意識について述べた。こうした日本人の美の倫理を形成したものは何か。それは基本的に神道ではないかと思う。

 神道は古代より現在に続く日本の伝統宗教であるが、これといった教義を説くものでもなく、キリスト教の聖書や仏教の経典に相当するものもない。日本人の多くは神道の信者であるとの自覚もほとんどないが、それは神道が日本人の生活慣習そのものとなっているからである。

 日本人の考え方や習俗などを改めてよく見、神道を研究すると、日本人の慣習と普通の考え方がいかに神道的であるかがよくわかる。

 本章では神道のエッセンスとなる精神を言挙げする。神道は倫理として教えを説かないが、神道には古来の日本人の美意識が凝縮しており、これが日本人の事実上の倫理規範と生活慣習を形成していることを見る。

清浄

 清浄は神道の精神そのものである。

 フランスの外交官で詩人でもあったポール・クローデルは、1926年12月25日、大正天皇崩御のとき、在日していた。彼が、フランス政府特使として大正天皇の葬儀(神式で行われた)に参列したときの印象記を、『帝の葬儀』という著書に残している。「自分は日本人の特徴を、それまでは畏敬の念にあると思っていた。しかし、もうひとつ大事なものを加えなければならない。それは、日本人の心の特徴でもっとも大切なことは、清浄という観念だ」と。ポール・クローデルは、日本人の心の特徴として清浄の観念をあげ、これこそが神道倫理の一切をなしているとの印象をもったのである(文献32、p.80)。

 清浄は神道が最も重視する価値である。前述したが、神道が重んじる人間のありようは「清明正直」(あるいは「浄明正直」)、すなわち、清き(浄き)、明き(明るい)、正しき、直き(素直な)心をもつことである。第一番に清き(浄き)が挙げられている。また、神職の階位は、浄階、明階、正階、権正階、直階からなる。直階というのは神職の第一歩である。その次が権正階で、権とは「仮の」という意味。その次が正階、その上が明階。そして最上位の浄階となる。

 神道が清浄を重視するのは、神道がこの上なく「生命力」を尊ぶことからくる。後述するが、「産霊(むすひ)」の思想が神道の根幹に横たわっている。産霊(むすひ)は生命あるものを生み、つくりだすことで、神道ではこれがもっとも価値あることと考える。そして、清浄にすることによって生命の働きは活発になるのである。心身を清浄にすることが生命力を高めることになる。ゆえに神道は清浄を第一とする。

 逆に神道はよごれていること、きたないことを穢(けが)れと呼んで忌み嫌う。穢れは生命力を衰亡させるからである。穢れは清浄の反対観念である。神道では、穢れは生命力が衰退した状態を象徴し、清浄は若々しい生命力が充満して躍動する状態を象徴する。穢れはまた「気(け)枯れ」であって、気(=生命力と言ってよい)が枯れた状態のことである(文献36、p.16)。そして古代日本人は、人間は気が枯れた(穢れた)ときに、さまざまな間違いを犯すと考えた。その間違いの程度が大きくなると、罪となる。

 穢れを除き、心身を清浄にすることを「祓(はら)い」という。祓いは生命力を甦えらせる。そして水で穢れを祓い、心身を清浄にすることを「禊(みそぎ)」という。禊には、あらゆる生命が水から誕生するという生命観と、水があらゆる穢れを祓い清める浄化力をもつという考えが横たわっている。水に特別の霊威があるとする信仰は日本だけのものではないが、神道の禊にも、水に「産霊(むすひ)」の霊力と「祓い」の霊力があるという信仰が伴っている。

 神道では身の穢れはすなわち心の穢れとなり、それが病気や災禍の原因となると考える。心身の穢れが生命力を弱め、病気や災禍を招く。ゆえに、付着した穢れを禊・祓によって取り払い、心身を清浄にすることが神道の極めて重要な行となる。神道は禊・祓をする宗教であると言ってよい。そして罪も含めたすべての穢れは、禊や祓で心身を清めることによって取り除くことができる。生命力を枯渇させる原因となっていた穢れが取り除かれると、人は本来の清浄な姿になって生命力が再生される。

 罪を含めて穢れを禊祓いすることによって本来の心身を回復するという神道の思想は、すべての人間は生まれながら原罪をもつといった思想(キリスト教)の対極にある。神道はすべての人間は本来清浄であり、生活していく中で穢れや罪が蓄積していくと考える。ゆえにそれは祓うことによって本来の清浄に戻る。神道は徹底して人間は本来善であるという前提に立つ。生命の生成と成長を至上の価値(=善)と考える「産霊(むすひ)」の思想から、神道は必然的にこのような人間観となる。

 勿論、神道の「罪」はキリスト教の「罪(sin)」と全く同じではない。本居宣長は神道の罪について次のように述べる。「何事にもあれ、わろきことのあるをいふを、体言(からだこと)になして都々美(つつみ)とも都美(つみ)ともいふなり、されば都美といふは、もと人の悪行のみにはかぎらず、病もろもろの禍(わざわい)又穢(きたな)きこと、醜きことなど、其の外にも、すべて世に人のわろしとて、にくみきらふことは、みな都美なり」。人の悪行だけでなく、病気、災禍、穢(きたな)いこと、醜いことなど、悪いこととして人が嫌うことは、すべて罪だといっている。その悪いことして人が嫌うものとは、概ね清浄の美からはずれたものである。

 罪を禊や祓いで取り除くという思想は、世界的にユニークといえるだろう。しかし、神道の罪は基本的に穢れ(=気枯れ)すなわち生命力の枯渇が招いたものなので、禊祓いで穢れを取り除き清浄になれば生命力が甦生し、罪はなくなると考える。禊祓いは身体を清めて心を浄化する。身を清めて神に額づき反省し、もとの「清明正直」の心になることを祈る。心だけでなく、身の汚れ、さらに周辺の汚れも穢れと考えるのが神道の特色である。これは、心の汚れだけでなく、身に着いた汚れや周辺の汚れも生命力を衰退させると神道では考えるからである。そして、身を清め周辺を清浄にして心(=魂)の浄化を神に祈るのが禊祓いである。

 こうして神事では禊と祓いは最重要視される。神を祭る者は、少しの穢れや不浄があってはならない。神祭りの開始にあたって、神職は神社の神域内にある斎館に入って厳粛な斎戒・沐浴を行う。斎戒は飲食や行動を慎んで心身を清めること、沐浴は湯または水で身体を洗い清めることである。斎戒・沐浴を潔斎ともいう。神職はこうして心身を清め祭祀に臨む。また神社に参拝する一般の人々は手水を使う。手水とは水で口を漱ぎ、手を洗うことで、禊を簡略化したものといえる。

 神事はまず修祓(しゅばつ)に始まる。修祓はお祓いである。神職が祓詞(はらえのことば)を奏して、参列するすべての人々が知らず知らずのうちに犯した罪、穢れのあるのを祓い清めてくださるように神に祈願する。そして、大幣を左右左と振って参列者を祓う。また、一般に神社への参拝は祓の行為の一つであるとされる。神前で罪や穢れの思いをさっぱりと捨てて、清らかな気持で出直すのである。

 神道は清浄がすべてと言ってよいくらいである。神は清浄を好み、清浄なところにまします。ゆえに清らかにすることが神に近づくことである。日本人の清浄の美意識は神道において神に直結している。神は清浄を好むゆえ、清浄が価値あること、善いことであって、逆に汚いことが悪いことである。日本人が清らかか汚いかによって善悪の判断を行うことは、日本人が神道の信者であることを表明している。

産霊(むすひ)

 神道に横たわる根本思想に「産霊(むすひ)」があるといてよい。「産霊(むすひ)」とは、天地・万物を生成発展させる霊的なはたらきをいう。「むす」はものを生み出し、造り成す意。「ひ」は霊または神秘的なはたらきを意味する(文献33、p.395)。

 自然のもつ神秘な生成力、生成のエネルギーに驚嘆しつつ生きた古代の日本人は、そこに神の力が働いていると感じた。それは太古来、自然の根源にあって自然の内側から支配しているような、はかり知れない活力である。そして、創造、生産、生殖など、すべてのものを生み出し、造り成す霊力であって、これを産霊(むすひ)と名付けた。新たな生命を生み出すことが産霊(むすひ)の中核にあるといってよい。古代人は生命の神秘さに偉大な神の働きを感じたのである。

 『古事記』には神道の起源を考える上で重要な神話が多く語られているが、古事記の最初に出てくるのがいわゆる造化三神である。世界が天と地に分かれはじめたばかりの大昔、天にある高天原に初めて現れたのは、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、高御産巣日神(たかみむすびのかみ)、神産巣日神(かみむすびのかみ)という三柱の神であった。天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)は宇宙の中心の神。高御産巣日神(たかみむすびのかみ)と神産巣日神(かみむすびのかみ)は、産霊(むすひ)の神である。そして、この三神は現れてすぐに姿を隠されたと語られている。これは、三神が宇宙の背後にあって、天地自然の生成をつかさどっていることを示唆している。

 次に現れた神は、宇摩志阿斯誌備比古遅神(うましあしかびひこぢのかみ)と天之常立神(あめのとこたちのかみ)である。宇摩志阿斯誌備比古遅神(うましあしかびひこぢのかみ)は、大地がまだ固まっていないときに、葦が芽吹くように萌え出たと記されている。萌え出す葦の芽に象徴される新しい生命の誕生が示唆されている。以上の五神は別天神(ことあまつかみ)と呼ばれ、高天原の特別の神々となった。

 五柱の別天神(ことあまつかみ)に続き神代七代と称される神々が現れる。最後に現れたのが、伊耶那岐神(いざなぎのかみ)と伊耶那美神(いざなみのかみ)という一対の男女の神である。そして二神は夫婦となって、本州を含む日本の国土(=大屋島国)を次々と生んでいく。『古事記』は、日本の国土がすべて伊耶那岐神(いざなぎのかみ)と伊耶那美神(いざなみのかみ)という、夫婦の生殖の力によって生み出されたと語っている。古代人は国土の生成も神の産霊(むすひ)の力によると考えたのである。

 産霊(むすひ)は新たな生命を生むことをその本質的な意味としながら、ものを生み、育て、造り成していく生殖、生産、創造、生成、結合などを広く含む。結合(結び)も産霊(むすひ)である。男女の縁結びのほか、人と人が結び合うことによって、あるいは物を結び合わせることによって、新たな生産と生成、そして価値の創造が行われる。

 そして神道では、新たな生命を生む産霊(むすひ)のはたらきに沿うものを、最大の善とするのである。それは、多産、成長、繁栄、生産、豊穣、生成、創造、結合などである。神道はものごとの善悪について哲学的に論じるようなことは一切しないが、私が敢えて言挙げすると、基本的に産霊(むすひ)による生命の繁栄が善で、生命の繁栄を損なうものが悪である。神道の理想はすべての人間が生命を横溢させ、生きとし生けるものがすべて繁栄することである。

 生命の繁栄がよいことであり、これを損なうものはよくないとする神道の思想は、神道に由来する日本のすべての慣習、行事、倫理に貫徹している。

 まず、神道は清浄の宗教と言ってよいくらい清浄を尊び、汚れを嫌う。これは、前述したように、清浄が生命のはたらきを活発にし、汚れが生命のはたらきを弱らせるからである。汚れは穢れであり、穢れは気枯れ(=生命力の衰退)を生む。ゆえに、神道では禊祓(みそぎはらい)を行い、心身を清め、汚れ(穢れ)を取り払う。汚れ(穢れ)を祓う ことによってフレッシュな生命力を獲得する。

 日本の年中行事はほとんどすべて神道の行事と言ってよいが、その代表はお正月である。正月は一年の始まりであるが、神道では元日は去年の続きではなく、すべてが元(はじめ)にもどると考える。この、続きでなく元(はじめ)であることに意味がある。ものの元(はじめ)には大きな活力が宿るのである(文献35、p.39)。日本の正月には、時間の流れに節目をつけ、元(はじめ)に戻すことによって、新たな生命力を得る神道の思想が横たわっている。そして正月を迎えるために十二月に大掃除を行う。一年の積もった汚れを取り払い、すっきりした気持ちになる。気力が充実する。

 また一月七日は人日の節句といい、春の七草を入れたお粥を食べる習わしがある。七草を食べるのは意味がある。七草は早春、雪の間から芽を出す生命力の強い植物である。この若菜を食べて強い生命力をいただき、一年を元気に暮らしていこうという思いがある。

 神道には若いことをよしとする考え方がある。これは若さに生命力をみるからである。一昔前まで元日に井戸から初めて汲む水を「若水」と呼び、家族がありがたいものとして受け止める習慣があった。神社における儀式で「玉串」として神に奉げられる榊などの常緑樹は、変わることのない繁栄を表している。神道には常に若い生命をよしとする「常若」や「若木」の思想がある(文献41、p.194)。

 古来日本人は初物を尊び、神饌として神に供え、自らも食してきた。初物や旬のものは若々しい生命力に満ちている。神饌は神の食物である。新鮮で清浄な食物ほど、生き生きとした生命力が宿っており、それを神が喜び給う。収穫したばかりの新しい米や、新鮮な魚介類、野菜類が神饌に選ばれるのは、これらが最も生命力に満ちているからに他ならない。

 次に、神道は厄落としの宗教といわれるくらい、厄を忌み嫌い、厄の除去(厄祓い、厄落とし)を重視するが、それは厄が人の生命力を減退させるからである。厄とは苦しみ、わざわいなどを意味するが、もともとは、「苦しいと感じる気持ち」や「不運だ(わざわいに会った)と思うこと」が厄であった(文献36、p.12)。こうした思いは人の明るい活力を減退させる。そして神道でいう厄とは、人々が明るい気持ちで生活することを妨げる全てのものをさす(文献36、p.6)。

 厄には、気分が疲れて愚痴を言う、ものごとを悪い方に考える、他人のやることすべてに腹がたつ、といった自分のつくり出す厄と、他人の愚痴を聞かされる、暗いニュースを聞かされる、人に嫉妬されて意地悪されるなどの、人から持ちこまれる厄とがある。そして愚痴や後ろ向きな話や、人の悪口を言って厄を振りまいてはいけない。

 人はこのような厄をかかえていると、はつらつとした生命のはたらきが弱まる。結果、判断力が低下し、消極的となり、勘も鈍くなって、何をやってもうまくいかなくなる。神道ではこのような厄を落とすことを勧める。厄は心にたまった垢である。ゆえに禊祓いによって落とすことができる。それは罪や穢れを禊祓いで清めることと同じである。厄を落として清らかになり、生命力に溢れた本来の人間にもどる。そして、明るく、はつらつとして幸福な人生を切り開くことができる。家は繁栄していく。

 厄で思いおこされるのは厄年である。男性の25歳、42歳、61歳を、女性は19歳、33歳、37歳を厄年とし、災厄がおきる可能性があるので、慎んで過ごすべき年齢であるとする。かって日本の男性はこの年齢のころ、人生の転機だったり、仕事の責任が大きくなって無理をしたり、女性は子育てが一段落して、自分の世界をつくっていく悩みの発生する時期であった。大きなストレスが発生する時期だったのである。ストレスをため込むと厄となり、病気や、仕事での失敗の原因となる。ゆえに神道では、こういった大きいストレスを抱える年齢を厄年として、厄をためこまないように厄祓いを勧める。

 厄祓いは罪や穢れを清める祓いと同じである。神社での祈祷でそれまでにたまった厄、罪穢れをまとめて祓う。人は祓いを受けつつ、これまでの自分の生き方を見直し、心を新たにしてきれいな気持ちで生きていこうと決心する。

日本人の習慣や倫理には厄落とし含むものが多い。きれい好きでよく掃除する。年末に大掃除をする。これは一年分の厄を落とすことである。よく入浴する。これも世界的に際立っているが、一日の厄落としである。また、新しいものをよしとする。古いもの、過去をひきずらない。水に流す。過去の失敗や罪を犯した人をいつまでも責めない。反省して(厄を落とし)、生まれ変わった気持ちでやり直すことをよしとする。

 また神道では人が喜ぶことをするのが厄落としになると教える。そして人々と社会のお役にたって罪穢れを贖えと教える(文献36、p.30)。こういった倫理の背景に神道の生命の思想(=産霊の思想)がある。産霊の思想などと自覚しなくても、こうした倫理を信条として生きる日本人は多い。日本人は、自覚はないかもしれないが神道の信者であると思う。

敬神

 神を敬い、畏まり、神に感謝して、神のよろこぶ生活をするのが、神道の信仰生活の基本である。しからば、神とは何だろうか。「神」の語義については多くの説が提示されてきたが、本居宣長は神とは次のようなものであるとした。

 「さて凡て迦微(かみ)とは、古(いにしえ)の御典等(みふみども)に見えたる、天地の神たちを始めて、其れを祀(まつ)れる社(やしろ)に座(いま)す御霊(みたま)をも申し、又人さらにもいわず、鳥獣木草のたぐい、海山など、其余(そのほか)何にまれ、尋常(よのつね)ならずすぐれたる徳(こと)のありて、可畏(かしこ)き物を迦微(かみ)とは云うなり」。

 宣長によれば、『古事記』等の古典に見られる天地の神など、神社に祀っている御霊(みたま)が神であるほか、人間、自然、動植物なんでもあれ、尋常でない力を感じさせ、畏敬の念を抱かせるものが神である。宣長のこの定義は、日本人のもつ神観念を包括的にとらえたものとして一般的に受容されている。

 霊力を感じさせ、畏敬の念を抱かせるものが神だといってよいだろう。霊力は目に見えない不思議な、神秘的な力である。霊は霊魂の霊であって、霊魂は人間の肉体に宿って肉体を支配する精神的本体である。現代日本人も唯物論者を除き、多くは霊魂を認めるだろう。古代日本人は、新しい命(いのち)の誕生は霊魂が肉体に宿ることであり、死は霊魂が肉体から去ることと考えた。霊魂は人のいのち(命、生命)をつかさどっている。そこには神秘的な、畏怖すべき力がはたらいている。古代人は霊魂に神を見た。そして、いのち(命、生命)を生みだす不可思議な霊力をもつものが神である。産霊(むすひ)は神の力に他ならない。

 古代日本人は、霊魂は人間だけでなく自然に広く存在すると考えた。鳥、獣、蛇、等すべての動物、また松、杉、榊等のすべての植物、そして山、川、海、島、湖、岩、石などの自然物にも霊が宿る。自然は霊的な存在であり、その中に神がいる。そして人間も霊をもつ自然の一部である。さらに、古代日本人は、人間のつくった家屋、道具、船、刀などの器物にも霊が宿ると考えた。

 古代人は尋常でない霊力をもつ目に見えない存在を畏怖し、畏敬し、神として祀った。従って神道では、畏怖すべき霊力をもつ人、自然、動植物、器物等で人々が祀ったものがすべて神である。人の霊を神として祀ったものとして、自分たちの先祖を祀ったものと、徳川家康の東照宮など亡くなった偉人を祀ったものがある。村の鎮守の神や氏神・産土神(うぶすながみ)は、もともと地域を切り開いた先祖でもあり、指導者であった人の霊を祀ったものである。

 神道は多神教である。八百万(やおよろず)の神が存在する。大きく、自然神と文化神に分けられる。自然神は自然物や自然現象を神格化したもので、太陽神、風神、雷神、山の神、島の神、沼の神、水神、春日の鹿、日吉の猿、熊野の烏、巨木など。文化神は社会集団の神と職能集団の神とに分けられる。社会集団の神として、屋敷神、部落神、鎮守の神、氏神、産土神(うぶすながみ)などがあり、職能神として、縁結びの神、農業神(田の神)、狩猟神(山の神)、漁労神、商業神、軍神、学問の神などがある。さらに偉人の霊を祀ったものも文化神で、前述した徳川家康の他、豊臣秀吉、吉田松陰、乃木希典、東郷平八郎なども神として祀られている。

 神道の神々はキリスト教など一神教の神と全く違う。キリスト教の神(ゴッド)は唯一絶対の神であってゴッド以外に神はない。全知全能であって、人と自然をはるかに超越している。人も自然も神(ゴッド)によって創られたもの(被造物)である。人や自然といった被造物が神になることはない。こういった被造物を神のように崇拝してはならない。ゴッドの最大の特徴は何にもましてその超越性にある。これに対し神道の神は人や自然に近いといえよう。

 「ゴッド」に「神」をあてたのは誤訳といわれるくらい、神道の神とキリスト教の神は違うが、共通点が全くないわけではない。神にも人にも霊を認めることが共通している。ただ、キリスト教では一般の人の霊と神の霊とは異なる。神の霊は聖霊であって、人は聖霊に満たされて救済される。キリスト教の聖人は聖霊に満たされた人である。もう一つ、神を畏怖、畏敬すべき存在とするところが共通している。神は人間の上にあって、人間がおしはかることのできない神秘的な霊力をもつ。ゆえにこれを畏敬し、人は神の意に沿って生きるべきである、といった共通感覚である。こうした感覚はすべての信仰生活の基礎となるものであるが、この共通点のゆえ、昔の日本人はゴッドもカミであると見たのであろう。

 神は戦慄をおぼえるほど畏怖すべきものであるという認識が、神道の敬神生活のスタートとなる。日本の神様を伝える言葉として、「お天道様はお見通し」という諺がある。神は人には見えないけれど、神からはすべて見えていて、うそやごまかしは一切通用しない。このような神に対して人は畏怖心をいだき、自然に畏まる心が生まれる。「正直者の頭(こうべ)に神宿る」という。うそ・ごまかしなど一切お見通しの神がよしとする人間のあり方は、正直に尽きる。神を意識して正直に生きれば加護があるという信仰になる。

 次に、神は清浄を好み、清浄なところに寄りつく。汚いことを嫌悪し、汚いところには寄りつかない。これは日本の神の最も際立った特徴である。ゆえに人は心身を清浄に保つ。よく家を掃除する。入浴し、洗濯し、汚れを落とす。神社に参拝して禊祓いを行う。穢れを祓って心の垢(厄)を落とす。くり返しになるが、神が好む人は「清明正直」である。清らかで、明るく、正しく、直き(素直で正直な)人。清明正直が敬神生活の基本となる。

 そして神道は先祖を尊ぶ宗教である。先祖の霊を祀り、神となった祖霊がよろこぶ生活をする。氏神や産土神はもともと地域の祖霊を祀ったものである。神となった祖霊は子孫を見守って、子孫の繁栄と幸福、そして地域の豊穣をよろこぶ。氏子は祖霊を祀る神社に参拝し、この一年のみのりと地域を見守ってくださった氏神に感謝する。また、家の神棚に氏神や産土神を祀るのと同時に、神棚のそばに御霊舎(みたまや)を置き、亡くなった祖父、祖母、父、母などの霊を祀る。毎日神棚・御霊舎に手を合わせ、家族の繁栄、幸福、平安無事を見守ってくださっている祖霊に感謝し、先祖のよろこぶ生活をする気持を新たにする。

 神道はまつり(祭祀、神祭り)を行う宗教である。「まつり」の原義はひたすら神につかえまつ(仕え奉)り、神饌(神の酒食)や幣帛(神の衣料)をたてまつる(奉献る)ことである。神をお迎えして、神饌・幣帛を供え、祝詞をとなえて日頃の神の加護と神徳に感謝し、神をたたえ、五穀の豊穣や生活の安全を祈願する。日本全国多くの伝統的な祭りがある。宮中では稲の収穫を感謝する秋の新嘗祭をはじめ、数多くの祭祀が行われている。村祭りは鎮守の神(氏神、産土神)に村の安全と豊穣を感謝する祭祀であるが、村びとが祝祭として楽しむ行事となっていった。現在の都市祭などイベント化して神を信仰する精神の見えない祭もあるが、元来祭りは神を畏敬し、神をもてなし、神に感謝の意をたてまつる儀式である。

 自宅に神棚を設置するのは、自宅に神を祭ることである。そして、自宅や職場にまつった神棚のまえで、次のような神棚拝詞を唱える。

 「此の神床(かむどこ)に座(ま)す 掛けまくも畏(かしこ)き 天照大御神 産土大神等(うぶすなのおおかみたち)の大前(おおまえ)を拝(おろが)み奉(まつ)りて 恐(かしこ)み恐(かしこ)みも曰(もう)さく 大神等(おおかみたち)の広き厚き御恵みを辱(かたじけな)み奉(まつ)り 高き尊き神教(みおしえ)のまにまに 直き正しき真心もちて 誠の道に違(たが)うことなく、負い持つ業(わざ)に励ましめ給い 家門(いえかど)高く 身健(みすこやかに) 世のため人のために尽くさせ給えと 恐(かしこ)み恐(かしこ)み曰(もう)す」

 掛けまくも畏きというのは、口に出すことも、ましてや心に思うことすら畏れ多いという意味である。そのような尊い神の大きな恵みに感謝し、神の教えのままに正直に誠の心で務めに励み、世のため人のために尽くさせてくださいと、畏れ慎みながら神前で唱える。日本人の敬神生活がこの伝統的な神棚拝詞に尽きている。

自然

 神道は自然崇拝の宗教である。

 古代人にとって自然は単なるモノではなかった。自然は生命に満ちている。草、木、森、獣、魚、鳥、虫、そして人。動植物の生命が自然の生態系のなかで循環している。自然は生命を生む霊力をもっている。そして自然は春夏秋冬の摂理のなかで、美しい変化と大いなる恵みをもたらす。かかる自然は偉大である。古代人は自然のなかに神の存在を感受した。現代日本人もなお自然をお天道様とよび、精神性を入れて語る。自然の中に霊性を認め、これに対する深い畏敬と崇拝の感情をもつのが神道である。

 「宇宙のあらゆる存在に霊性を認める神道の世界像は、自然と超自然、人間の世界と動物や植物の世界、さらに物質と生命とを結び合わせるのです」と、文化人類学者レヴィ・ストロースは言う。動植物から無生物に至るまで、万物に霊性を認める信仰をアニミズムという。神道はアニミズムといえよう。ただアニミズムという言葉は、19世紀英国進化論の人類学者タイラーが、一神教の神以前の原始宗教であるとの位置づけで用いたもので、西欧一神教文明のもつ偏見を伴っている。

 アニミズムと多神教は、一神教以前の全世界にほぼ共通している。古代ギリシアは多神教の世界である。その自然観は日本古来の自然観に近い。またキリスト教以前のゲルマン人も多神教で、先祖崇拝、自然崇拝の世界であった。先祖の霊魂が自分たちを見守っていると感じ、自然物にも霊魂が宿るアニミズムの世界に生きていた。彼らは森の巨木を神木として崇めた。これなど、日本の神道と同じである。アメリカインディアンもアニミズムであり、先祖崇拝である。あらゆるものに神が宿り、あらゆるものが神であった。

 こうしてみると、万物に霊性を認めるアニミズムは、世界共通の普遍的な宗教感覚であって、むしろキリスト教のような一神教が特殊であるという感じがする。そして、世界の多くの地域では一神教に席巻されてアニミズムが消滅したが、日本においては太古より途切れることなく継続している。これは非常に貴重なことである。神道にみられる宗教感覚は原始的な劣ったものではなく、むしろ普遍性のある宗教感覚だと考えるのが正しいように思われる。

 神道は自然崇拝の宗教であるが、特に森を神聖視することに特色がある。神道は森、山をそのまま神とした。森や山を神奈備山(かんなびさん)、神体山と言って仰いだ。神奈備とは神の鎮まる場所で、神隠(なび)の意である。日本の神社はもともと神の鎮まる神聖な森に他ならなかった。神社の本来の意味は神殿ではなく、「神の杜(もり)」の意である。奈良の大神神社には神殿はなく、背後の三輪山をそのまま神の社(やしろ)としている。石上神宮の布留山も、春日大社の三笠山も神体山である。一般の神社も山麓祭祀から発生したものが多い。それは、森に潜む霊性(すなわち神)が里近くに鎮まるべく迎えられた里宮である(文献43、p.15)。

 森こそは畏敬すべき自然に他ならない。森は清流の水源であり、生態系のメッカで、生命に満ちている。木々には神が宿り、人は森の霊気に触れて甦る。森こそ神の鎮座するところである。昔の日本人は山の七合目から八合目まで行ったら、これから上は神様の土地だと言って、斧を入れたり、踏み込むことはしなかった。日本の森は神の鎮座する鎮守の森である。

 自然のなかに神を見出す神道は自然を信仰する。日本人の自然信仰は日本人の倫理、形而上学の根本を形成してきた。自然に従っていけば正しく、幸福に生きられる。そして救済されるという信仰である。古来すべての日本人がこの自然信仰の中で生きてきたと言ってよい。一般の庶民だけではなく、ほとんどの思想家、宗教家もこの形而上学からはずれていない。日本を代表する高僧である親鸞や道元の思想にも、つぶさにみれば、自然を神とも仏ともみるような自然信仰が横たわっている(文献38、p.124)。

 道元は越前山中の自然で修行する寺(永平寺)を建てた。道元は「山川大地、日月星辰、これ心なり」と言う。自然に生命があると言っているのである。道元は、「山が身心となり」と言い、山を愛すれば聖賢、高徳となる、とも言っている(文献39、p.103)。道元の悟り「身心脱落」は、坐禅によって身心が自然と一体になり、山に帰一することであった。道元は仏道の人であるが、神道の自然信仰を、宗教的な悟りの境地にまで高めたともいえる。

 究極的に神道では自然が神である。そして神道は自然道だといえるだろう(文献39、p.110)。神道が自然道であるがゆえに、特筆すべき多くの長所をもつ。

 まず、神道は自然道であるゆえ、間違いの迷路に入らずに済むといえるだろう。人はしばしば自然から離れて間違う。人間の理性はよく独善的な自己正当化の理論を作り出す。これは間違うことが多い。その間違いは自然から離れたことに起因する。人間の理性は、自然を離れて真理がわかるほど立派にできていない。自然道は常に自然を観察し、自然に沿ってものごとを判断していく。自然から正しいことを引き出そうとする。この自然信仰のゆえ自然道は間違いに陥らない。日本人はいわゆるイデオロギー(思想、観念の体系)なるものをあまり信用しないが、イデオロギーは自然を離れた人間の頭(理性)の産物であり、日本人が自然道で身についている真理直観力がこれを疑問視するのである。

 次に神道は寛容である。自然は実に多様である。自然にはすべてがある。自然はすべてを包摂し、すべてをそのまま肯定する。拒否することがない。そして自然はおのずから、そのまま成立して調和の世界を現出している。自然道の神道は人が考え出した一つのことを絶対視することはない。多様性をそのまま認める。神道は他宗教(他の神)と普通に共存する。神道が寛容なのは、それが自然の姿であると感じるからである。自己を絶対視して他を否定する独善性は不自然である。

 神道の自然を畏敬する精神は実に貴重である。この精神は理性よりも、センス・オブ・ワンダーといった感性からくるものである。科学技術が高度に発達した現代は肥大化した理性の時代であって、今日の地球環境問題は、人間の感性が軽視された結果もたらされたという見解がある。神道は自然を畏敬し、自然によって生かされていると思い、自然に感謝し、自然と共生する。自然に耳を傾け、自然をよく見、自然から学ぼうとする。このような神道の精神は、地球環境問題という世界的な問題を解決する、宗教からの貴重なメッセージとなる。

 神道には「入信する」という行為はない。神道の重要な特質であるが、これも神道が自然道だからである。日本人は神道に「入信」したりせず、ごく自然に神道の精神を身につけている。神道を信仰しているという自覚もほとんどない。神道にはキリスト教、イスラム教、あるいは仏教にみられるような、経典はない。経典がないからといって神道に精神や思想がないわけではない。神道の精神や思想は儀式に内包されているが、それがあまりにも自然な思想と精神なので、日本人はそれを経典化する必要性を感じなかった。西洋哲学にみられる、言葉によるロジックの精緻を極めたような形而上学を、自然道の神道は必要としなかった。

 キリスト教はすばらしい教えをもつ宗教であるが、私は神が自然をつくったというユダヤ・キリスト教の教えにはどうしてもなじめない。自然が神であるとする方が腑に落ちる。これは私が日本人だからだとは思うが、この感覚がむしろ人類に共通するのではないかとの思いもある。一神教世界の西洋人にもこのような感覚をもつ人は皆無ではない。精神分析学の創始者として有名なフロイト(ユダヤ人)は、神は自然現象の人格化であると言っている。これはユダヤ教やキリスト教よりも神道の考え近い。

 自然を神とする精神の根底に日本人の美意識がある。自然は美しい。この根本感情が自然信仰をもたらす。自然の運行には美しい法則性がある。自然が限りない多様性に富んでいるのも美しい。自然は変化するが、その変化は霊妙である。四季の循環は美しい。日本人は美しい自然から美しい生活と芸術・美術を生みだしてきた。日本文化の根底に美しい自然の美意識がある。神道の根底に自然に美をみる日本人の精神がある。

 加瀬英明氏は言う、「日本人の和の心は、日本の二千年以上にわたって民族信仰であってきた神道に発している」、「神道が日本人をつくり、日本人が神道をつくった」、「神々のあいだの和、人々のあいだの和を重んじ、人が自然に属しているという考え方が、日本人の心をつくってきた」(文献40、p.5)。

 日本人は古来、和を尊ぶ社会をつくってきた。聖徳太子は十七条憲法の第一条に和を置いた。「一に曰く、和を以って貴(とうと)しとし、忤(さから)うことなきを宗とせよ---」。第一が和である。太子は深く仏教に帰依した人であるが、仏教は第二条に置いた。「二に曰く、篤く三宝を敬え。三宝とは、仏と法と僧なり---」。十七条憲法は国家運営の基本法となるものであるが、最も大事な精神は和であると言っている。そして和を貴ぶ精神は仏教の教えというより、古来日本人が培ってきた精神であって、これを聖徳太子が国家運営の最も重要な精神であると宣言したのである。

 日本人は和を重視する。争いを好まない。自制し、相手を思いやる。また、独断を避け、皆で話し合おうとする。日本人がこのように和を重視するのは、日本人が古来共同体への強い帰属意識のなかで生きてきた結果である。そもそも人間は一人で生きていくことはできない。生れ落ちて家という共同体の中で生かされる。日本人は村という共同体の中で生き、古代では部族、中世から近世の武士は家中、藩という共同体の中で生きてきた。近代では会社が共同体となり、そして最大の共同体は国家である。

 日本人は共同体の繁栄に個人の利益よりも高次の価値を認めた。共同体あっての自分である。不和は共同体の繁栄を失わせ、ひいては自己に不利益をもたらす。ゆえに多くの場合、個人は自制して和を保つのがよい。村という共同体で生活を営んできた日本人には、古代に日本は和の国であるという自覚がすでに存在した。「やまと」という言葉はもともと奈良盆地を示す地名であるが、朝廷による統一が進むにつれて日本全体を意味するようになった。その「やまと」に古代日本人は「大和」の字をあてた。そして日本は和の国であるという日本人の自己認識は現在まで続いている。

 和に至上の価値を置くとき、発生する問題点は二、三指摘できる。まず、共同体の和を尊重し過ぎると、個人の「正しい」主張が否定されるのではないかという問題があげられる。はたして「和」は「正しい」主張より価値あることなのか。これについて、聖徳太子は十七条憲法第十条に次のように述べている。

 「---人みな心あり。心おのおの執るところあり。彼れ是とすれば彼れは非とす。我れ必ずしも聖にあらず。彼れ必ずしも愚にあらず。共にこれ凡夫のみ。是非の理、詎(た)れかよく定むべけんや。相共に賢愚なること、鐶(みみがね)の端なきがごとし。ここをもって彼の人は瞋(いか)ると雖(いえど)も還(かえ)って我が失(あやまち)を恐れよ。我れ独り得たりと雖(いえど)も、衆に従いて同じく挙(おこな)え」

 聖徳太子は、自分一人が正しいと思っても、凡夫にすぎない自分の失(あやまち)かもしれないと謙虚に反省して、衆に従えと言っている。日本人は昔からこの聖徳太子の考えをよしとしてきたと思う。「我れ必ずしも聖にあらず。彼れ必ずしも愚にあらず。共にこれ凡夫のみ。是非の理、詎(た)れかよく定むべけんや」は、極めて深い人間認識である。これについて、世界標準は、和のために正しい(と思う)主張を引っ込めるなどとんでもないというのであろう。しかし、そんな考えだから、世界から戦争がなくならないということでもある。聖徳太子は正しさの主張のなかに、人間の愚かな思い込みを見ていたのであり、そして自分もまたそのような愚かな凡夫に過ぎないと自覚していたことが、十七条憲法からうかがえる。

 もう一つ、前述の問題点とつながるが、共同体の和を重視するあまり、個人の尊厳を損なうことがないかという問題も指摘できる。これは非常に難しく、私は断定的に結論する力はない。しかし、断片的に二、三の意見を述べると、まず、和は人の精神的な成熟と相関する。不和は未熟な人間の集まりの結果であって、成熟した人間の集まりは自然に和となる。そして精神的な成熟は自他の尊厳の自覚と相関するだろう。

 次に、和を自分と共同体との関係ととらえるとき、人の共同体への帰属意識と尊厳との関係に言及する必要がある。人は帰属意識が安定して心が安らぐ。帰属意識は周囲に愛されているという感情と深くつながっている。乳飲み子は母に愛されている意識のもとに初めて健全な精神をもって成長する。これは原帰属意識ともいえるもので、周囲に愛されていない子供、必然的に帰属意識の薄い子供の精神は健全に育たない。大人になっても、共同体との和は健全な精神と無関係でないと思う。愛和という言葉もある。愛和が健全な精神を生む。

 共同体の和が個人の尊厳をそこなうことになるか否か、これを左右するキーワードは自由であろう。思想、信条、信仰、生き方の自由である。共同体が一つの思想、信仰、生き方を個人に強制し、自由を認めないとき、個人の尊厳が冒される。ここで思い起こされるのは孔子の「君子は和して同(どう)ぜず、小人は同(どう)じて和せず」(論語)という言葉である。同(どう)じた小人の集団が個人の違いを無視して尊厳を冒す。思想、信仰、生き方の違いは個人の尊厳そのものである。違いを認め、違いを前提として和す。これが君子の和であろう。

 そして、日本人の和はやはり神道の精神だと思う。

 まず、神道は多神教である。八百万の神々が共存している。神々の間で争うことをしない。多神教は寛容である。これに対し一神教の神は不寛容である。唯一神が真理を独占しており、絶対的な帰依を求める。これと異なる信仰は否定する。ゆえに一神教の信者は、信仰する唯一神が全世界の人に帰依されるまで戦うことになる。一方、多神教は多様性を認める。多様性の中で共存して和す。

 次に日本では神道と仏教が習合している。お寺と神社が仲よく共存している。これなど一神教の宗教からは、全く理解できない世界のようである。しかし私は神仏習合は和を貴ぶ精神が生み出した日本人の叡智だと思う。日本人は宗教が争うことを好まない。和の方を好む。この好みの根源的なところに神道の精神が横たわっている。日本人は和が一宗派の説く真理より普遍性があると考える。一宗派の説く真理と他派の説く真理が違うゆえ争いが起きるなら、それはそれぞれがまだ未熟のゆえである。そもそも神と仏を同時に認めたのは和を貴しとする聖徳太子であった。太子は仏教に帰依したがそのゆえ神道を排除することなく、神祭りをそのまま維持した。

 神仏習合はいろいろな考え方が説かれてきたが、代表的には本地垂迹説である。神のもとは仏・菩薩であり、日本の衆生を救うために神の姿となって現れたと説く。この考え方は平安時代に成立し、全国に及んだ。渡部昇一氏は、これについて述べる。もし普遍的な真理なるものが存在し、それが人類に啓示されるならば、それは日本であろうと、中国であろうと、インドであろうと、欧州であろうと同じ真理が啓示されるはずだと日本人は考える。こうした日本人の思考が本地垂迹説のような神仏習合の思想を生んだと。そして渡部氏が言うように、この日本人の思考は極めて自然で、合理的である。私はこのような日本人の思考の背景に自然道としての神道があると思う。

 和する精神はまた、神道の根本思想である産霊(むすひ)の思想に沿ったものである。産霊(むすひ)は生命の繁栄を最高に価値あることとする思想である。共同体は人々の和によって繁栄し、不和によって衰亡する。産霊(むすひ)の精神はまた結びの精神でもある。人々は結び合って和合する。そして結びは人々の深いコミュニケーションを可能にし、人々に繁栄をもたらす。結びの精神から成る代表的な儀式が祭である。神道は祭を行う。人々は祭で結び合って和合する。

 多神教である神道の最高神は天照大御神という女神である。女神を最高神とする多神教は日本以外の主要な文明社会にはみられない。女神はやさしい。男神は争うが、女神は和を好む。最高神が女神であることに日本人は納得するものがあった。それは、和を好む日本人の心性とひとつのものである。そして私は和を好む日本人の心性の深いところにやはり美意識があると思う。和は美しいのである。

感謝

 神道は感謝教である。神に感謝し、自然に感謝し、先祖に感謝し、周囲に感謝し、すべてに感謝しつつ、おかげさまでという思いで生活する。神社本庁発行の「敬神生活の綱領」の第一に挙げられているのが感謝である。「一、神の恵みと祖先の恩とに感謝し、明き清き誠を以て祭祀にいそしむこと」とある。神道の信仰生活はこの第一の綱領に尽きるといってよいくらい、感謝は神道の根本をなす。

 現代日本人には希薄となっているが、稲作を生業として生きた日本人には、先祖への感謝と自然(すなわち神)への感謝は極めて自然な感情であった。先祖は苦労をかさねて原野を開墾し、子孫のために水田を残してくれた。自分たちの生活は先祖のおかげである。神道の先祖崇拝の根底にある感情は感謝である。かって農村には「田の神」―-豊作をもたらす神――が存在したが、「田の神」の実態は祖先神である。

 稲作はまた、自然――太陽、水、天候――の恵みによって成立する。稲作以前の漁労採集生活にあっては、生活は一層自然に支配された。太古以来自然と共に生活してきた日本人は、自然の恵みを神の恵みとして感謝した。中でも最大の恵みは太陽の恵みである。太陽神(=天照大御神)を最高神として崇めるのは極めて自然な感情であった。

 神や先祖に対する感謝の念を表明する儀式が祭である。神道の祭は基本的に感謝の儀式である。宮中および全国の神社で行われる秋の最大の祭りが新嘗祭である。神道最大の祭といってよい新嘗祭は、秋の収穫を神に感謝する祭である。その年に収穫された新穀を神前に供え、感謝し、翌年も豊作であることを祈る。

 神道は神を祭り、神の前で祝詞(のりと)をとなえる。祝詞とは何か。祝詞は神に祈る言葉であるが、基本的には神をたたえ、神に感謝する言葉である。国学院大学神道学専攻科で講師を務め、七社の神社を兼務する金子善光宮司は言う。「私が学生に講義でいつも話しているのは、祝詞とは報賽、つまり神様に感謝する、それが基本だと言うことです」(文献41、p.25)。

 祝詞は神に申し上げる神聖な言葉であり、格調高い古語からなる。祝詞は祭の目的と祈願の内容によって形式が確立しているが、その多くはまず、「かけまくも畏き=言葉に出すだけでなく思うことすら畏れ多い」という神前に恐懼する言葉で始まる。その次に神徳を尊び、たたえ、その恵みに感謝する言葉が続く。そして最後に祈願する言葉が来る。あたかも、祈願よりも神に畏まり、神をたたえ、神に感謝することが主眼であるかのような形式になっている。そして実際、祝詞の核心は祈願ではなく、神をたたえ、神に感謝することにあると考えられている。昔の祝詞には「祈願」が最後までないものさえ存在したという(文献41、p.26)。

 日本人は神社に参詣するが、神社に参詣する目的も本来祈願ではなく、神に感謝することにあると考えられている。神に感謝し、先祖の恩に感謝し、自然の恵みに感謝する。その感謝を表現する行為が神詣でなのである。

現在普通に使われている日本語の中に、神道における感謝のキーワードといえるものがたくさんある。「おかげさまで」、「いただきます」、「ありがとう」と言う。「おかげさまで」は、自分(たち)が今日あるのは皆様のおかげ、そして神様のおかげという思いを含む深い感謝の言葉である。ビートルズのジョン・レノンは日本人の心と神道に惹かれた人であったが、彼は口癖のように「okagesamade(オカゲサマデ)」という言葉が「世界のなかで、もっとも美しい」と言っていたという(文献40、p.31)。

 日本人は食事前に「いただきます」と言う。「いただく」とは、もらうことであるが、同じもらうのでも、目上の人、尊い方からもらうことである。食事前に「いただきます」と言って、食べ物を作り育ててくださった人々、食べ物の恵みをもたらしてくれた自然および神様に感謝する。また、「ありがとう」は英語圏での「サンキュウ」と同様、日本で最も普通の感謝の言葉として用いられるが、本来「ありがたい」は「有り難い」ことであって、自分の前に通常では「有り得ない」ことが起きたため神に感謝する、という思いをもつ言葉であった。それが時代と共に普通に人に感謝する言葉となった。

 神道を研究し、実践する宗教哲学、思想史家鎌田東二氏(京都大学教授)は、神主でもあるが、氏の一日は祭りと祈りに始まる。毎朝起きてすぐ、神棚の水を取り替え、大祓詞(おおはらえのことば)、祓詞(はらえのことば)、神名奉唱、祈り、般若心経一巻奏上、観世音菩薩の真言奉唱、石笛・法螺貝・アルプスホルン奉奏、太鼓奉奏を行う。そのあと義父の祭壇を拝み、祓詞を唱え、義祖父母の仏壇を拝み、念仏を唱える(文献38、p.207)。

 この毎朝のお勤めを通して鎌田氏は、いのちが長い悠久の流れの中にあるのを感じるようになり、それをありがたいと思うようになったと言う。そしていのちにはかなさでなく、永遠を感じるようになったが、それは存在することへの畏怖であり、存在すること自体が奇跡だと思うようになったと言っている。神主になって深く感じるようになったのは、このような存在への畏怖や永遠の感覚であり、そしてすべてのことをありがたく感じとれるようになった。自分は 「有難教」の教祖だと冗談めかして言うことがあるが、半ば本気でそう思っている、と言っている。  氏はまた次のように言う。神道の八百万(やおよろず)主義は極論すれば全肯定の思想であり、有難教である。有難教は肯定思想の極北であり、肯定性の行き着く先である。「我即大日」の即身成仏思想も、「煩悩即菩提」の天台本覚論もみな肯定性の極致であり、肯定性の悟り世界である、と(文献38、p.210)。釈尊の説いた仏教は本来すべてを肯定する思想とはいえない。日本仏教の即身成仏思想や天台本覚論は、日本神道の全肯定の思想の土壌で成立したということであろう。

 神道はすべてに感謝する。すべてをありがたく感じる。起きてくることや存在する他者を否定することはない。肯定し、ありがたいとして受けとめる。根底に、存在していること自体が尊く、成りゆく自然がそのまま善であるという思想がある。鎌田氏が言うように神道は有難教である。有難教(=感謝教)は、おのずからすべてを肯定する思想となる。神道が多神教であり、他者や他宗に寛容であることは、神道が感謝と肯定の教えであることと一つのものである。

 著者は71歳になるが、この歳になって、人間の倫理として「感謝」がいかに大切であるかよくわかるようになった。地球物理学の権威竹内均氏(故人)は、人の生き方として最も大事なことは「勤勉、正直、感謝」であると説いている。若い頃これを読んで、共感していたが、今思えば、「感謝」の重要性については十分理解していたとはいえなかった。今はよくわかるように思う。

 そして、若い頃は気づかなかったが、今思えばこの「勤勉、正直、感謝」は神道の精髄である。氏の本にもこれが神道の教えとは書かれていなかったと思う。氏もおそらくこれが神道であるとの自覚はなく、そのことは、日本人にとって神道は倫理や宗教との自覚なくして、自然に日本人の生き方となっていることを意味するのであろう。

 昔の日本人にあって、我々現在の日本人にないものが先祖に対する感謝の念である。稲作農業に生きた昔の日本人には、先祖に対する感謝は極めて自然のものだった。しかし、先祖の恩恵は稲作農業だけではない。現代の我々日本人が今日あるのは、すべて先祖のおかげである。日本が平和で、豊かで、国民は正直で、教育レベルは高く、世界一、二の長寿国で、成熟した高い文化をもち、社会が安定しているのは、すべて先祖の賜物である。日本のすばらしさは外国で生活するとよくわかるが、これは理由なくそうであるわけではなく、日本の先祖の成し遂げた尊い成果としてあるのである。

 先祖に対する感謝の自覚が、日本の歴史を正しく理解する鍵だと信じる。日本の歴史を学ぶと、先祖がいかに苦労して立派な日本をつくってきたかがよくわかる。自然に感謝の思いがわく。日本にはすばらしい歴史がある。これを知れば、過去の日本人を不当にけなすようなことは自然にしなくなる。先祖に対する感謝の自覚が我々に正しい歴史認識をもたらし、一層立派な日本をつくりあげていくと信じる。

中今

 死をいかに考えるか。死生観はすべての宗教において核心的な問題である。仏教では輪廻転生や極楽浄土などの死後の世界を説くが、神道は死をどのように考えているのだろうか。江戸時代、伊勢神宮(外宮)の神職を務めた中西直方の詠んだ次の和歌が、神道の死生観をうまく詠んだものとされる。

 「日の本に生まれ出でし益人は、神より出でて神になるなり(日本に生まれた人々は、神の世界から来て、神の世界に帰っていく)」。

 神道は霊(霊魂)の存在を認める。人をいのちあらしめているのは霊魂であり、霊魂は神から与えられる。いのちの誕生は霊魂が神の世界から来て肉体に宿ることであり、霊魂が肉体を去るのが死である。肉体を去った霊魂は神のもとに帰る。

 これが神道の基本的な死生観であるが、神道では死後の霊(霊魂)は祖先神になっていくと考えられている。死後まもない個人の霊(死霊)には死穢があるが、一定の年月を経て死穢がなくなり、浄化されて先祖代々の祖霊のなかに溶けこんでしまう。つまり、死霊が浄化されて祖霊となり、祖霊はさらに昇華して祖先神となる。この祖先神が氏神である。

 そして人々は神となった祖霊が子孫を加護し、温かく見守ってくれていると信じる。ゆえに人々は祖先神を祭り、感謝する。これが祖先崇拝の宗教としての神道の原点である。祭は神となって子孫を守護する祖先に対する感謝の儀式である。日本の神社の祭る神々の多くは祖先神である。京都の賀茂神社は賀茂氏の祖先神を祭る神社である。春日大社は藤原氏の祖先神を祭る。伊勢神宮の祭る天照大御神は皇室の祖先神である。死者の霊を神として祭る神社は多い。その代表が戦没者を祭る靖国神社である。

 それでは死後の世界すなわち他界―――霊魂が死後行く(帰る)という神の世界―――は一体どのような世界だろうか。神道はどのような他界観をもっているか。結論は神道に統一的な他界観はないということであるが、昔よりいくつかの他界観が語られてきた。

 まず山中他界観。死者の霊は近くの山に居る。死霊の段階では山の低いところにいるが、浄化されて次第に山の高いところに昇っていく。高山の上に昇るにつれて死霊は清い和やかな神(祖霊)となる。これが柳田國男の祖霊山上昇神説である。古来山村で暮らしてきた多くの日本人に受け入れられてきた考えである。稲作に豊作をもたらす「田の神」が祖先神であることは前述したが、田の神はまた山の神である。山中に他界し山の神となった祖霊が春に山から里に降りてきて田の神となる。稲田の生育を見守り、秋には再び山にもどって山の神となる。このような信仰が成立する背景に山中他界観がある。

 次に地中他界観。古代人は死後行く世界を「黄泉の国(よみのくに)」と呼んだ。これは地下の世界がイメージされている。また、「根の国(ねのくに)」とも呼んだ。「根」という言葉から祖先の地がイメージされるが、「根の国」は必ずしも地下ではない他界と考えられている。

 最後に海上他界観。古代人は死者の行くところを「常世の国(とこよのくに)」とも呼んだ。この呼称は理想郷、楽土のイメージがある。そして、「常世の国」が海上はるか彼方にあるというのが海上他界観である。沖縄には古来「ニライカナイ」の信仰があった。「ニライカナイ」は遠い海の彼方にあるとされる他界である。年初にはニライカナイから神がやってきて豊穣をもたらし、年末にまた帰る。また、生者の魂もニライカナイから来て、死後そこに帰る。柳田國男は「ニライカナイ」を本土の「常世の国」と同一視した。「常世の国」は必ずしも海の彼方でなくても、古代日本人にとって最もふさわしい祖霊がいる他界であっただろう。

 このように神道には統一した他界観はない。これについて鎌田純一氏は『神道概説』で次のように述べている。「特定の教義をもたない神道に統一的な他界観はない。日本人は本来、トコヨ、理想郷ともみられる他界を意識しても、それを具体的にどのようなところと説明する必要もなく、個々の意識にまかせてきた(中略)。日本人自身、不明のことは不明、追求して解決出来そうもないことには、積極的に当たろうとしなかった民族性、それより現世の現実的な問題に当たってきたなかから、おりにふれて考えるなかで、このような他界観がでてきたのであろう」(文献42、p.126)

 結局、神道は死よりも現世の方が大切なのだ。死は宗教の核心的問題であるにもかかわらず、統一した他界観をもたないゆえに神道を疑問視する人もいるだろうが、私はむしろ統一的な他界観をもたない神道にある種の健全性と、神道が宗教よりむしろ倫理としての性格が強いことを感じる。仏教と儒教の祖である釈尊や孔子も他界は説かなかった。説いたのは現世の倫理であった。

 仏教の説く輪廻転生や浄土などの死後世界は、当時の古代インドの世界観を仏教が取り入れたのであって、釈尊自身は、死後の世界は説かなかったと言われる。死後に地獄、極楽があるのか、あの世はあるのかないのかといった質問に対して、釈尊は何も答えなかった。こういう質問に対して釈尊は沈黙したので、仏説経典に「無記」と記されている。釈尊はそのような質問を受けたとき、もっと大切なことを問うがよい、と言ったと伝えらえる。もっと大切なこととは、死後の世界などを議論するのではなく、仏道修業に専心することであった。

 儒教の祖・孔子も同様である。弟子の子路が「死」について問うたとき、孔子は「未だ生を知らず、いずくんぞ死を知らんや(自分はまだ生を知らない、どうして死を知ることができようか)」と答えた。釈尊も孔子も死の世界よりも、人が現世でどのように生きるかということの方がずっと大切なことであった。しかし孔子は決して神を否定していない。「神を祭るには神在(いま)が如くす」と言っている。神を祭るには、神がそこにおられるように感じてお祭りするのがよい、ということである。

 神社本庁作成の「敬神生活の綱領」解説に、神道の特徴を三つ挙げている。まず第一に神道は絶対神をもたない宗教であること、第二に神道は現世を重んじる宗教であること、第三に統一した教義をもたない宗教であること、である。第二の、神道が現世を重んじる宗教であることについては次のように述べている。「仮に時間の流れをごく常識的な、過去・現在・未来と三区分した場合、神道は何より現在に重点をおく。それは、自己が直接参加しうる現在という時を、あらゆる時間の中で最も価値あるものとする意味の「中今」(『続日本紀』の「宣命」に記載)という神道用語に的確に表れており、また来世・前世を深く言挙げしない神道の他界観からも窺い知ることができる」(文献43、p.51)

 現世を重視し、現在を重視する神道の思想は、「中今」という神道用語に尽きる。「中今」とは今を最も大切にして懸命に生きるということである。神道は、来世や前世を言挙げ(議論)したりせず、今を精一杯生きるという精神を最も重視する。熊野速玉大社の上野顯宮司は、結局神道では死んでどこにゆくのかが大事なのではなく、生きているあいだにどんな徳を積むかが大事なのです、熊野での古くからの神道では、「死」に至るまで人は懸命に生き、明るく過ごす「生」を重視していたのです、と言っている。

 東大医学部教授矢作直樹さん(付属病院救急部・集中治療部長)は、母の死から死後の霊魂の存在を信じるようになった人であるが、氏は緊急医療の現場の生と死が行き交う中で人の生き方に関する思索を深め、神道について次のように述べている。「古神道に中今という言葉があります。過去はどうであったにせよ、今を生きるのが大切という意味です。もっと拡大解釈すると過去も未来も、今の連続です。時間というのは今の意識が連続して作り出された集合体だからです。だから過去が、未来が、とことさら執着する必要はないのです。今を楽しむこと。それだけで人生は変わります」(文献44、p.173-174)

 今に集中して生きる。これが最も大切であるとして生きる日本人は多い。神道の中今の倫理は現代日本人の倫理として健在である。

言霊(ことだま)

 神道は言霊(ことだま)信仰の宗教である。

 言霊とは言葉のもつ不思議な霊力のこと。古代人は発せられた言葉には霊力が宿り、その言葉を発すると言葉通りのことが実現すると信じた。良い祝福の言葉を発すれば良いことが起き、悪い呪いの言葉を発すれば悪いことが起きる。言葉は単なる伝達手段だけではなく、発せられた言葉に物事を実現させる霊力がある。これが言霊信仰である。

 古くから日本は「言霊の幸はふ国」と信じられた。「幸はふ(さきはふ)」とは「豊かにさかえる」という意味である。万葉の歌人柿本人麻呂は、「磯城島(しきしま)の大和の国は言霊の幸はふ国ぞ真幸くありこそ」と詠む。また紀貫之が「(言霊は)あめつちをもうごかす」と言うほど、言霊信仰は古代に広く浸透していた。日本語の「コト」は言葉の「こと」でもあり、同時に「事(こと)」でもある。言葉と事物は日本語においてそのまま連動している。

 神をたたえ、神に感謝し、神に祈るために神前でとなえる「祝詞(のりと)」は言霊信仰で成立している。祝詞は言霊の集積である。祝詞を奏上することで、そこには神聖な時空がつくられる。言霊が神と一体となって祈りが現実化する。ゆえに祝詞は絶対に間違って唱えてはいけない。「いのる(祈る)」の語源は明らかでないが、「い」は神聖を意味する「斎」であり、「のる」は言葉を発する「宣る」からきているといわれる。ゆえに、「祈り」は言葉を口に出すことが大きな要素となる。神聖な言葉を発することによってその霊力が発揮され、それが成就するのが神道における「祈り」である。

 言葉が現実化するという思想は、実は神道だけのものではない。普遍的な広がりをもつ。その代表例はキリスト教の聖書にある。ヨハネによる福音書の冒頭に「初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった」と記されている。キリスト教の神は宇宙万物の創造主であるから、結局言葉が宇宙万物を創造したと言っていることになる。

 統一哲医学会(のちの天風会)の創始者中村天風(1876-1968)も、言葉の霊力を信じていた。天風は肺結核を患って死の淵まで行き、ヨガの聖者カリアッパ師に邂逅。師に従ってヒマラヤの麓で修業し、三年後に悟入転生の境地を開いて健康を取り戻した。帰国後実業界で活躍していたが、感ずるところがあって、ヒマラヤで体得した真に人生を生きる実践哲学「心身統一法」を説く講演活動を始めた。天風の教えは広く世に認められ、多くの人に支持されて現在に至っている。天風の心身統一法は人間に潜在する無限の生命力を感得し、強い心をつくる総合的な方法であるが、その中で、言葉のもつ力を強く説いている。

 「真理に従って人生を生きるには、その一語一語の言葉のすべてが、人生に積極的に影響する暗示となるという大事な宇宙真理を絶対に忘れず、さらに努めて積極的な言葉を使う習慣を作ることである」(文献46、p.66)

 「私は今後かりそめにも、我が舌に悪を語らせまい。否、一々我が言葉に注意しよう。(中略)終始、楽観と歓喜と、輝く希望と溌剌たる勇気と、平和に満ちた言葉でのみ活きよう。そして、宇宙霊の有する無限の力を我が生命に受け入れて、その無限の力で自分の人生を建設しよう」)等々。

 また、高名な春日大社宮司だった葉室頼昭さん(1927-2009)は、「昔から言葉には霊力があるんです。だからいい言葉を言えば幸せになるし、悪い言葉を言えば不幸がやってくる。こういうことはみんな本当なんですよ」と言う(文献47、p153)。葉室さんは神道の宮司だから当然言霊信仰は徹底しているが、私は、私を含めて一般の日本人も非常に多くが、信じる深さに程度の違いはあっても、概ね言霊の信者だと思う。少なくとも現代日本に言霊の影響下にある慣習は健在である。

 縁起の悪い言葉を避け、縁起のよい言葉を好んで使う習慣は生きている。不吉なことを連想する言葉を「忌詞(いみことば)」として避ける。「スルメ」を避けて「アタリメ」と言う。「スル」は「摺る」を連想し、「アタリ」は「当たり」を連想する。病気見舞いにシクラメンやサイネリアを避けたりする。シクラメンには死と苦の音がある。サイネリアは再寝るという連想をもたらす。語呂合わせに過ぎないが、これを気にするのは言霊信仰が健在であることを示す。

 結婚して子供が生まれ、人の親となる。子供の幸福を心底願って命名する。暗い、不吉な、不幸を連想するような名前は絶対に選ばない。子供が幸福になるように、明るい響きのある、縁起のよい、立派な名前を選んで命名する。その名前を背負って生きていく子供が、言霊の力で名前に見合った人間になると願って命名するのである。

 その自覚はほとんどなくなっているが、祝福の言葉を述べる習慣にも言霊信仰が横たわっている。「新年おめでとう」という。これは、「新年になって今年もあなたにとっておめでたくありますように」という意味である。その祝福の言葉を発することによって、相手にめでたいこと(幸福、幸運)が起きるのを願うのである。つまり言霊信仰である。

 ネットで「言霊」を検索すると、多くの人のブログに、実際に実践した結果言霊を信じるようになったことが載せられている。「言霊は効く。むしろ現実的に魔法と言っても良い」といった記述もある。そして、幸運を引き寄せる言霊として代表的に挙げられているのは、「すべてがうまくいっている」、「ありがとう」、「感謝します」、「おかげさま」、「ついている」、「幸せだ」、「許します」などである。こういった良い言葉をくり返し積極的に使い続けると、自分を取り巻く環境が好転し、幸運がもたらされるといった体験が述べられている。

 言霊思想は潜在意識論とつながるように思われる。ジョセフ・マーフィの説く潜在意識論を信奉する人、あるいは影響を受けている人は多いと思う。それは、人間には意識があるが、その表層意識の下に広大な潜在意識がある。この潜在意識には無限の知恵と無限の創造力がある。心から信じる思いを潜在意識が完全に受け入れると、潜在意識がその思いを現実化する、という理論である。そして潜在意識は神といってもよいという。

 思いを潜在意識にまで浸透させる手法が暗示であり、そして言葉による繰り返しである。言葉を発し、繰り返すことによって、その言葉のもつ思想が完全に潜在意識に受け入れられる。するとそれは自然に現実化することになる。これが、言葉に霊があるゆえ良い言葉を発すれば良いことが起き、悪い言葉を発すれば悪いことが起きるという言霊思想の、潜在意識論による説明である。

 私は自分の体験から、言霊の思想もマーフィーの潜在意識論も概ね信じている。そして浄土宗を開いた法然の「南無阿弥陀仏」も、言霊信仰とつながっていると感じている。もともと心の中で仏を思うという意味であった「念仏」を、法然は「念仏」とは口で南無阿弥陀仏と唱えることであると説いた(口唱念仏)。そして、口で南無阿弥陀仏と唱えることだけで人は往生する(救済される)と教えた。これは仏教史上革命的な教えであった。これは、持戒堅固で当代最高の学識をもち、仏道修行を極めながらも、ただ南無阿弥陀仏と口で唱えることによって真に救済された自覚をもつ、法然の体験からくる教えである。私はそこに、言霊思想の普遍性と、日本仏教の土壌に神道の存在を感じている。

 言霊の思想は、その自覚がなくても現在なお日本人の生活に影響を与えている。この点においても、神道はなお生きた日本人の宗教である。

皇室

 日本の神道を記述して皇室について何もふれないとすると、非常に大切なことを欠くことになる。

 日本の天皇は神道を通して初めてよく理解される。天皇は実は日本の最高位の司祭者、最高位の神職である。天皇の仕事は、憲法に定める国事行為(大臣の任命、国会の開催など)の他、外国の要人を接受し晩餐会を主宰すること、園遊会を主宰することなど多岐にわたるが、天皇の本務は実は祭祀(宮中祭祀)にある。すなわち、神を祭り、神に祈りをささげることが天皇の本務である。

 天皇の政治的地位と権能は時代により大きく変化したが、天皇が最高位の司祭者であるとの考えは一貫して変わらなかった。神事(祭祀)を天皇の第一の仕事とする伝統は歴史の早い時期に確立した。第84代・順徳天皇は、「およそ禁中の作法、神事を先とし、他事を後にす」という言葉を残している(『禁秘抄』)。もっと古く、古代の孝徳天皇(第36代)の御世に臣下の蘇我石川麻呂が、「まず以って神祇を祭(いわ)い鎮めて、然して後に政事を議(はか)るべし」と天皇に奏上している。

 祭祀を第一とする伝統は今上天皇に脈々と継承されている。宮内庁関係者は「今上天皇は宮中祭祀を熱心に行われている」と、口をそろえて証言する。天皇陛下はなお毎年30を超す祭祀を宮中で行っている。まず新嘗祭(にいなめさい)、神嘗祭(かんなめさい)。これは五穀の豊穣を感謝し、祈願する祭である。次に春季皇霊祭、秋季皇霊祭、昭和天皇祭、神武天皇祭など、皇室の祖先を祭る祭り。そして、四方拝、歳旦祭、元始祭、大祓など、年の節目に行われる祭などである。

 新嘗祭は秋の収穫を感謝する代表的な神道の祭りで、宮中および全国の神社で行われる。宮中でも新嘗祭は特に重要な祭祀である。天皇陛下が神嘉殿において新穀を天照大御神始め神々に供え、神恩を感謝されたあと、みずからも召し上がる。陛下は皇居・吹上御所の水田で毎年自ら稲を栽培され、収穫した初穂を新嘗祭の神饌として供される。

 神嘗祭は伊勢神宮における最大の秋の収穫祭である。伊勢神宮は神道の総本山ともいうべき神社で、内宮に天照大御神を祭る。天照大御神は神道における至高の神で、日本を守る神であるとともに皇祖神である。天皇陛下はこの日賢所に新穀を供えて神恩に感謝する儀式を行う。また、伊勢神宮に勅使(例弊使という)を派遣して、幣帛を奉り祭文を奏上する。

 四方拝は、元旦の午前5時半に天皇陛下が古式の束帯を着用して神嘉殿の前庭にお出ましになり、伊勢神宮の皇祖神を遥拝する。続いて四方の諸神に国の安泰、国民の幸福、豊作を祈る。歳旦祭は、元旦天皇が親行する四方拝に続き、宮中三殿で行われる。四方拝を済ませた天皇が礼拝し、続いて皇太子が礼拝する。

 大祓は6月末日と大晦日に行われる。祓いは神道の行事として日常的に神社で行われるが、宮中での行事は天下万民の罪穢れを祓う儀式で、大祓と呼ばれる。

 大王(おおきみ)と呼ばれた天皇家の祖先は、弥生時代の初期、稲作農業を行う集団の一首長であったと考えられる。首長は人びとを指導するとともに、農地を切り開いた祖先を地域の守り神として祭った。やがて多くの集団のなかで天皇家の祖先である首長が大きな力をもち、大王(おおきみ)とよばれるようになった。

 大王(おおきみ)を祭司として頂く大和朝廷の勢力が伸長し、地方豪族が大和朝廷に従うようになると、大王は自分たちの祭る祖先神を地方豪族の祭る祖先神の上位に置く必要が生じた。大和朝廷の勢力が大きく拡大した6世紀初め、大王家は至高の神である天照大御神を自分たちの祖先神とした。そして大王家(天皇家)による全国支配がほぼ完了した7世紀末に、天照大御神を祭る壮大な伊勢神宮が建てられた。

 8世紀の始めに成立した記紀(『古事記』と『日本書紀』)は、神代記で天皇家の祖先が天照大御神であることを伝える。高天原から地上に降臨したのが、天照大御神の孫・瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)である。日向の高千穂に下った瓊瓊杵尊が、大山津見神の娘・木花開邪姫(このはなさくや)を妻に迎えて生んだのが火照命(ほでりのみこと、別名海幸彦)と火遠命(ほおりのみこと、別名山幸彦)。弟の火遠命が海神の娘・豊玉姫を妻にして生んだのが鵜葺草葺不合命(うがやふきあへずのみこと)であり、鵜葺草葺不合命(うがやふきあへずのみこと)が豊玉姫の妹・玉依姫を妻にして生んだ末子が神倭伊波礼比古命(かむやまといわひこのみこと)。この神倭伊波礼比古命が東征して初代の神武天皇となる。すなわち、神武天皇は天照大御神の5世の孫である。

 『日本書紀』によれば、天照大御神は地上に下る瓊瓊杵尊に三つの重要な神勅を与えた。その一つが「斎庭(ゆにわ)の神勅」である。「吾が高天原に所御(きこしめ)す斎庭(ゆにわ)の穂を以ちて、亦吾が児(みこ)に御(まか)せまつるべし」という。これは、「瓊瓊杵尊よ、この高天原の神聖な稲穂をお前に委ねるから、私(天照大御神)に代わって地上で稲を育てなさい」という意味である。

 『日本書紀』のこの記述から、天皇家の祖先が弥生時代の稲作農業を行う集団のリーダーであったこと、また、日本人が稲作を天照大御神より委ねられた神事と考えてこれに励んできたことがうかがえる。そして、今上天皇は現在も皇居で稲作をされ、収穫された稲を新嘗祭で天照大御神に供えられる。

 「皇室は祈りでありたい」と皇后様がおっしゃっていた、と紀宮内親王(当時)が伝える(文献53、p.46)。この言葉が皇室の本質を表している。また皇后陛下は、元旦に御所から神嘉殿に向かう天皇陛下をお見送りして歌を詠む。「年ごとに 月の在りどを 確かむる 歳旦祭に 君を送りて」。元旦の朝早くから身を清め、神に祈りをささげるために暗い中を外出する天皇陛下を見守る皇后陛下の深い思いが伝わってくる。また、次のような歌もある。「神まつる 昔の手ぶり守らんと 旬祭に発(た)たす 君をかしこむ」。旬祭とは、天皇陛下ご自身による御親拝によって行われる祭のことである。このような歌から、国の平安と豊穣を祈る天皇、畏みつつ支える皇后、両陛下の美しい姿が浮かぶ。

 世界における日本の皇室は、一般の日本人が思うよりずっと権威のある尊い存在である。一国の一王家が国家成立のときから現在まで変わらず続いている国は、世界に日本しかない。現在も王室をもつ国は多いが、日本の皇室ほど長い歴史をもつ王室はない。比較的長い歴史をもつのはデンマークとイギリスの王室であるが、それぞれ10世紀、11世紀までさかのぼれる程度である。日本の皇室は少なくとも6世紀までさかのぼれる。世界史上数多くの古代国家が成立し、多くの王家が存在した。しかし、日本以外の古代王家はすべて消滅した。日本の皇室は古代の王家がそのまま現在まで継続している、世界史の奇跡ともいえる王家である。

 神道の古典とみなされる記紀の神代記は、初代の神武天皇が天照大御神の裔であることを伝える。王を神の裔とすることは古代世界に共通してみられる。例えば、古代ギリシアのミケーネの王アガメムノンは、ギリシア神話の最高神ゼウスの末裔である(文献54、p.20)。しかし、アガメムノン王家は現存しない。神話において天照大御神の子孫である日本の皇室は、初代の神武天皇以降現在まで一系で続いている。神話の世界がそのまま歴史につながり、男系の一系で継続している王家は日本の皇室以外に存在しない。

 皇室が現在まで続いてきた理由としてまず、日本が島国で大陸の治乱興亡の外にあったことがあげられるだろう。しかしそれだけではあるまい。天皇の本質が権力者としての統治ではなく、神を祭る司祭者であったことが、万世一系で継続した最大の理由だと思う。史上日本を実質支配した権力者は多くいた。平安時代は藤原氏、鎌倉時代は源頼朝及び北条氏、近世は織田信長、豊臣秀吉、そして徳川家康。しかし誰一人天皇に代わろうとする者はいなかった。それは皇室のもつ権威が権力の上に確立していたからである。その権威は宗教的なもので、天皇が神を祭る日本の最高位の人であるとの伝統から生まれる。そして記紀の神代記は天皇が神の裔であると記す。皇室の権威は神道に由来している。歴史上日本を支配した権力者が、権威において天皇を凌駕することがなかったことは、日本人が意識するせざるにかかわらず、神道の信者であったことを示している。

 皇室の存在は尊い。日本が比較的安定した歴史をもっているのは、皇室の存在が大きい。それは諸外国の歴史をみればよくわかる。王家の存在は国を安定させるのである。日本の皇室は建国以来継続している。国の安定に与えた影響ははかりしれない。そして今上天皇は国のために今も祈っておられる。私は国の統治の最も高尚な精神として祈りがあると思うが、天皇陛下はその最も高尚な祈りを、受け継いだ役割としてはたしておられる。

 万世一系の天皇は、日本の祭祀王として世界から深い敬意を払われている。これは日本人として幸福なことである。皇室の存在は日本と日本人の大きな利益である。そして、皇室は日本の伝統文化を維持し、質素である。昔の諸外国の王や皇帝のような贅を尽くすようなことは一切ない。日本の皇室は伝統的に質素で美しい。それは神道の世界の美である。神道の美が皇室において凝縮されている。

神道における倫理

 神道における倫理を整理してみよう。神道は倫理そのものだから「神道における倫理」という言い方は重複である、という意見はあるかもしれない。しかし実際、神道は神々を祭る宗教で、倫理を豊かに含みながらも倫理を超えている。また神道は言挙げせず、その本質は儀礼と祭にあるとされるので、神道が含む豊かな倫理をまとめた教学的一般書はない。ゆえに、これをわかりやすく整理してみることは、神道の言挙げしない精神には悖るかもしれないが、通俗的ニーズの観点から意味があると考える。言挙げすると必ず個人的偏向を伴い、神道が言挙げしない理由はそこにあるのだろうが、以下、敢えて神道における倫理のエッセンスを言挙げしてみる。


清きこと、明(あか)きこと

 神道倫理はまず、清きこと、明きことが第一。清きというのは清い、清らかということだが、明きというのは、明るいことを含みながら、いわゆる明るさだけではない。敬神生活の綱領に、明きというのは、明らかなすきとおった、誰からも見通せる、信用できる心の状態と解説されている。明きはまた赤きとも書かれる。明き(赤き)心はかくすところのないまごころのこと(広辞苑)。赤心である。

 祝詞には神道の倫理が豊富に含まれるが、家内安全の祝詞に、「---家内(いえうち)の親族(うちやから)は、各(おの)も各(おの)も、清き赤き真心に誘い(いざない)導き給いて、日に異(け)に勤(いそ)しみ励む生業(なりわい)を弥進(いやすす)め給いて----」とある。家内親族のみんなを清き赤き真心に導いてくださって、日々職業に励むことができますように-----」という意味である。

 「清き」であるが、敬神生活の綱領に、清きとは穢れていない清浄な心身の状態と解説されている。清きという倫理は心を清くするだけでなく、身体を清浄に保つことも含む。さらに清き倫理は、周辺を清浄に保つ、すなわち掃除するといった倫理も含んでいる。この点において神道の清き倫理はユニークである。神道においては身体の汚れと心の汚れ、環境の汚れと心の汚れはつながっているからである。

 繰り返すが、「清明正直(せいめいせいちょく)」―――清き、明き、正しき、直きことが神道倫理の基本である。それは神が清き、明き、正しき、直きこと(および人)を好むからである。


まこと

 「まこと」とは、「ま(真)こと(事・言)」の意で、ほんとうのこと(事・言)、うそ偽りでないこと、真実であることである。「まこと」は神道の最重要倫理の一つと考えてよい。

 菅原道真は「心だにまことの道にかないなば祈らずとても神や守らん」と詠む。道真は心にうそ偽りがなく、真実であるならば、祈らなくても神が守ってくれると言っているのである。また、明治天皇の御製に「目に見えぬ神にむかひてはぢざるは人の心のまことなりけり」とある。神に対して恥ずかしくない心がまことの心と言っている。まこと=真実なることこそが神が好み、また神に仕え、神をまつる基本的な態度であるとされる。

 人の倫理としては「誠実」が最も「まこと」に近いと思われる。しかし「まこと」という大和言葉には、うそがないこと、真実であること、まごころ、といった心のありようが「誠実」よりも強く出ているように感じられる。

 「まこと」は日本人が最も重視してきた心のあり方である。「まこと」を好む日本人の精神は今も健在である。「まこと」、「誠」、「真」の字を男児の名に選ぶ親は多い。私の友人に「至誠」という名をもつ方がおられる。名のとおり、至誠そのものの高潔な人格者であられる。


正直(しょうじき)

 正直は日本人が最も重視する道徳であるが、これも神道倫理である。日本の親は、「お天道様はお見通し」と、うそがダメなことを子供に教える。すべてをお見通しの神が最も好むのは正直である。ゆえに「正直者の頭(こうべ)に神宿る」という。伊勢神道家の渡会家行(1256-1356)は『神道肝要』に言う。「凡そ神は正直を以って先となし、正直は清浄を以って本となす」。伊勢神道で最も重視された道徳律は正直と清浄であった(文献42、p.54)。

 神道倫理の要は「清明正直(せいめいせいちょく)」であるが、このとき、「正直(せいちょく)」は、神に対して曇りのない、ありのままのすなおな心であって、人に対してうそ偽りのない「正直(しょうじき)」と完全に同じではないことは前述した。しかし、正直(せいちょく)は歴史の中で正直(しょうじき)に吸収された。そして倫理としての「正直(しょうじき)(うそを言わないこと)」は、「まこと(真実)の道」にほぼ重なる。菅原道真の歌「心だにまことの道にかないなば祈らずとても神や守らん」の解説を読むと、「まことの道」とは、「うそのない」、「正直なこと」と説明されている(文献35、p.34 )。

 正直は特に江戸時代、すべての人間が守るべき最高の徳目とされた。その伝統は現代日本に健在である。


勤勉

 勤勉は立派な神道の倫理である。神道は神の産霊(むすひ)に沿うものを最大の善とする。産霊は天地・万物を生成発展させる神の霊的な働き。生成、生産、創造、発展、結び、成長は全て神の産霊に沿うもので、善である。ゆえに、ものをつくり、育て、成長させる勤労は人間の尊い行為であり、勤勉は人の立派な倫理となる。

 日本人が勤勉の倫理を育てたのは、日本人が稲作を生業としてきたことが大きい。稲はもともと亜熱帯の植物で、これを温帯で育てるには大変な手間と労力を要する。そして稲作と神道は深い関係がある。神話に、高天原で天照大御神と素戔嗚尊が稲作に従事していることが記されている。日本書紀によると、天照大御神は地上に降臨する孫の瓊瓊杵尊に稲作を委任したと記されている(「斎庭の稲穂の神勅」)。これを「依さし」という。稲作は神が人に委任した労働であるゆえ尊い神事なのである。

 神道は神々も働く。勤勉に働くことは、人間の当然の倫理となる。神棚拝詞で「----直き正しき真心もちて、誠の道に違うことなく、負い持つ業に励ましめ給い、----」と唱える。自分の職業(負い持つ業)に勤勉に励むことは重要な神道倫理である。


感謝

 英米人は子供に「Say thank you(ありがとうと言いなさい)」と教えて感謝の言葉を習慣づけさせると聞く。感謝することは人間の普遍的な倫理であろう。神道においても、神道は感謝教と言われるほど、感謝は重要である。

 感謝の倫理については外国でも深い宗教的、哲学的基礎があるだろうが、神道における感謝も宗教的に深い。神に感謝し、神に感謝の思いを捧げ(唱え)、周囲に感謝し、祖先に感謝し、自然に感謝し、おかげさまで、生かされている、という思いで生きる。鎌田先生が体験するように、存在するということが奇跡的なことである、ゆえにすべてがありがたい、というのが神道の感謝である。

 日本には古くから恩の倫理があった。恩の自覚の根底にあるのは感謝の感情で、恩の倫理よりも感謝の倫理の方が根本的である。感謝の思いの伴わない恩の倫理の実践(恩を返すこと)は義理の行為となって、形式的になる。人の踏み行うべき倫理として勿論無意味ではないが、感謝という中味が伴う方がよい。

 感謝は認識の深化とともに深まる感情である。年とともに感謝がわかってくるのは、体験によって認識が深まるからである。そして認識の深化は人間的な成長と軌を一にする。

 倫理や道徳が良い人間関係をもたらすための人のもつべき規範だとすると、感謝の思いを自覚し感謝の言葉を発することは、これほど重要な倫理はないと思えるほどである。


今を最も大切にして生きる

 これは神道の「中今」の倫理である。このような倫理を「中今」という簡潔な用語ですべてを尽くす神道はすばらしいと思う。

 人間は幼少の頃はごく自然に今に集中して生きている。しかし長ずるに従って次第に物事を先延ばしにしたり、全力で取り組まなかったりするようになる。そして過去を後悔し、先のことをあれこれ心配するようになる。今を大切にベストを尽くさなかった結果である。人生は今しかない。今に集中し、今を最も大切にしてベストを尽くす。これが完全にできれば、過去を後悔し、未来を案ずるようなこともほとんどなくなるだろう。

 このような「中今」の倫理は仏教の教えと重なる。私は神道の「中今」を知らなかった頃、今に集中して生きよとの教えは仏教、特に禅の教えだと思っていた。前述したが、禅に、「即今、当処、自己」という教えがある。これは、ただ今、ここで、自分がやるという意味である。「中今」の良い実践的な教えになっている。

 神道の「中今」の精神は、神道がこの上なく生命を尊ぶことから来ると思う(仏教もそうかもしれない)。生命の全開は今に集中することで得られる。過去を後悔したり、未来を案じたりすることは生命の働きを弱らせる。毎日今にベストと尽くせば生き生きとし、「日々好日」となる。その日のことはその日で終わり、未来は今日のような一日が新しく来るだけである。


良い言葉を使う

 神道には、良い言葉を発すれば良いことが起きるという言霊思想があるゆえ、人が良い言葉を使うことは立派な神道倫理となる。日本人はこれが倫理だとの自覚などなくても、良い言葉を使うことは非常に大切だと思っているのではないだろうか。子供が悪い言葉を使うと注意して直す。言葉は大切な文化であり、また人間の教養そのものだとの考えが十分あると思う。下品な言葉を使う紳士は品性が下品だとみなされ、また実際そうであろう。

 言葉は人の思いが出たものであるが、発された言葉が逆に思いを形成する面がある。怒りの言葉を発すれば益々怒りの感情が強くなるし、ありがとうという感謝の言葉を発すれば、感謝の気持ちが湧いてくる。これも言霊であろう。人の悪口を言う人、ただ世間を非難する人、愚痴をいう人は、そうした発言を繰り返すことによって、ますます人や世間に対する不満の思いを練り固めていき、人間性は向上しない。倫理が人間性を向上させる規範だとすると、良い言葉を使うことは立派な倫理となる。

 日本語は英語、中国語、韓国語に比べてののしりや罵倒の言葉の数がはるかに少ないと聞く。日本人がののしりや罵倒といった汚い言葉の使用は良くないと避けてきた結果である。日本人は良い言葉を使うことを大切にしてきた。この伝統を大切にし、人間の倫理として良い言葉を使っていきたい。


世のため人のために尽くす

 倫理を人間の踏み行うべき規範としたとき、神道の倫理はこれに尽きるように思われる。

 神棚拝詞も神社拝詞も、「かけまくも畏き」で始まり、「世のため人のために尽くさせ給へと恐(かしこ)み恐(かしこ)み曰(もう)す」で終わる。

 私は神道だけでなく他の宗教においても、人間の倫理としては、「世のため人のために尽くす」ことに尽きると思っている。大乗仏教は菩薩道といわれるくらい人が菩薩のように生きることを理想とするが、菩薩は人に奉仕し、人に尽くす。そしてそのように生きることによって菩薩は仏になると説く。

 キリスト教にも豊かな奉仕活動が付随している。キリスト教の教えの根幹は、神を愛し、そして人を愛することである。人に奉仕し人に尽くすることは、人を愛することの実践である。

 「世のため人のため」を生き方や経営の基本とする日本人は多い。自分のやっていることは、自分の利益のため(だけ)ではなく、「世のため人のため」である。最上位の理念として「世のため人のため」を用いる。ときどき空文化するが、これを文字通り実践している経営者は少なくないと思う。

 私は神道を研究するまで、「世のためひとのために尽くす」ことが祝詞にもあるような神道の倫理であるとは知らなかった。しかし多くの日本人がこの言葉を口にするし、神道との自覚などなくても、これが最も大切なことなのだと信じる日本人は多いと思う。

神道における美

 最後に神道における美を整理してみよう。神道の美は、清浄の美、自然の美、そして和の美に整理されるように思われる。


清浄の美

 清浄の美が神道の美の根底をなす。心が清らか(浄らか)で美しいことを神道は最も重視する。神道は清浄の美の宗教であるといってよい。そして神道の清浄の美は心だけでなく、身体と環境にも及ぶ。

 清浄の美を特に好む日本人の美意識が「神は清浄なところにまします」という信仰を生んだといえよう。神は清浄を好み、汚れを好まない。清浄は神が好むゆえ、最高の価値のある美となる。

 そして清浄であることは、神道が至高の価値とみなす産霊(むすひ)、すなわち生成、生産、生命の横溢、活力、創造が進行する状態を象徴的に表す。逆に、心身および環境の汚れは、産霊(むすひ)の減退、すなわち生成のよどみ、生命力の退行、活力の衰退をもたらす。こうした観察に古代人の直観力のすばらしさを痛感するが、この認識が、神道が清浄をとりわけ重視する理由である。

 神道の倫理はすべて美を根底にもつ。清きこと、明きこと、正直、まこと、勤勉、感謝、今にベストを尽くす(中今)、良い言葉を使う、世のため人のために尽くす等。すべて美しい倫理である。そして、このような神道の美しい倫理の根底の多くに清浄の美意識が横たわっている。

 まず、「清き」こと。これは清浄の美そのものである。次に「明(あか)き」であるが、神社本庁発行の「敬神生活の綱領」に「明き」とは、明らかな透き通った、誰からも見通せる、信用できる心と解説される。「明らかな透き通った心」は「清い心」に非常に近い。「明き」心はそれ自体美しいが、神道の「明き」美は清浄の美に近い。

 「正直(しょうじき)」は、渡会家行が「凡そ神は正直を以って先となし、正直は清浄を以って本となす」というように、伊勢神道で最も重視される倫理である。「正直」もそれ自体美しいが、正直(しょうじき)はもと正直(せいちょく)であり、「神に対して曇りのない、ありのままのすなおな心」のことであった。「神に対して曇りのない心」は「清い心」に非常に近い。神は正直を好み、「正直者の頭(こうべ)に神宿る」という。これは、「神は清浄なところにまします」とあまり変わらない。「正直」の根底に清浄の美がある。ゆえに、渡会家行は「正直は清浄を以って本となす」と言う。

 次に「まこと」について。まことは真事、および真言で、ほんとうのこと(事、言葉)うそ偽りのないこと(事、言葉)である。また、まことは誠であり、誠実なことである。「まこと」はそれ自体が美しく、日本人の美意識は「まこと」に特に傾斜するようにも見えるが、これも清浄の美とつながっている。菅原道真が「心だにまことの道にかないなば祈らずとても神や守らん」と詠む「まことの道」とは、「正直なこと」と解説されている。そして正直の根底に清浄の美意識がある。

 また、簡素(あるいは質素)は禅の精神でもあるが、むしろ神道の精神と言った方がよい。簡素の美意識は洗練されているが、この美意識も神道の清浄の美とつながっているように思われる。簡素でないこと、ゴテゴテと飾り立てること、モノを非常にたくさん持つこと、生活を非常に複雑にすることは、清浄の美意識からはずれる。つまりこうしたことは、神道の嫌う汚れや厄ともなると認識されるのではなかろうか。そして禅は生活を簡素にすることによって心が充実すること、本当に大切な心の豊かさを得ると教える。こうした禅の思想は、心身および居住環境を清浄にすることによって人は厄や穢れを落とし、生命力を増進させるという神道の思想と共通している。

 さらに、神道は言挙げしない。言挙げしないことにも日本人の美意識が横たわっているが、これも清浄の美が根底にあるように思われる。神にはすべてが見えている。神道の「清らか」は何の隠し事もなく、そのまま神に見られて何の恥ずることもない清らかさである。その心を言挙げすることは重要ではない。純粋な清い心を神がすべて知っているからである。このような清い美しさとすべてを神にゆだねる美しい心が、言挙げしない美意識である。言挙げは、清くない不純な心を言葉で取り繕おうとするかもしれないのである。


自然の美

 神道は自然崇拝の宗教である。自然を崇拝するのは、まず自然に対する畏敬の念が根本にあるが、もう一つ、自然が美 しいとの認識がある。自然を美しいとみる美意識が神道の根本感情の一つである。

自然は生命に満ちた美しい世界である。自然は変化するが、その変化は美しい。変化する自然の中を精一杯生き切るすべての生命は美しい。花は満開も美しく、散ることも美しい。人もおのれの生命を全うして、生き切るのが美しい生き方である。これが神道の美意識となっている。神道の中今にこの美意識がある。

 自然はまた調和の美の世界である。無数の生物の活動と無生物が織りなす森羅万象は調

和の世界を現出している。自然はおのずから成るがそこに調和の美がある。人も自然と共におのずから成る調和の世界に生きるのがよい。それは自然の美に沿う生き方だからである。神道にこのように自然を調和の姿とみて、これを美しいとする美意識がある。

 また自然は全体として完全な、調和した美しい世界であるが、個別に、部分的にみると、不完全で、不足していたりする。しかし、それも自然なのだ。部分的に完全でないように見えても、全体としては調和しており、完全である。不完全に見えるものも自然の一部であり、それも美しい自然である。自然に対するこの認識が日本人に独特の美意識をもたらし、神道の美意識ともなった。

 茶道の美学の精髄は完璧な美の対極にある不完全な美である。岡倉天心は「茶道の本質は不完全ということの崇拝――物事には完全などということはないということを畏敬の念をもって受け入れ、処することにある」と言う。わび、さびといった美も、不足、不完全なものに美を見出す美意識である。そして不完全はそのままで美しい自然であると認識する。不完全のままで完全なのである。自然がそうである。

 日本人の控え目の美学もこのような自然観と連動している。控え目で、不完全でよしとするのは自然がそうだからである。部分的に完璧なのはある意味で不自然である。自然を観察すると、自然は部分的に不完全でありながら、全体として美しい調和が保たれており、満ち足りている。それが自然の美である。このように、洗練された控え目の美意識も自然の美の投影である。


和の美

 和は美しい。神道が和を重んじる根底に、和は美しいと感じる日本人の美意識がある。和は美しく、不和、争いは醜いのである。

 日本人は和を貴しとし、和の社会をつくってきた。和を美しいと感じる日本人は、和をもたらす個々の倫理を美しいと感じる。思いやりをもつ、人を信頼する、みんなで支え合う、自己主張に節度をもつ、すみませんと言う。こういった和をもたらす倫理に美しさを感じる感覚は、和に美しさを感じる感覚と一つのものである。

 和を神道が重んじるのは、神道が至高の価値と考える産霊(むすひ)を和がもたらすからである。これは清浄が産霊(むすひ)を増進させるゆえ重んじられることと同じである。和は産霊、すなわち、生産、生成、生殖、創造、結びをもたらす。不和と争いはものごとを破壊する。生産的でなく、産霊をもたらさない。

 産霊が至高の善であるとの思いがあって、和が産霊をもたらすことを直観するゆえ、日本人は和に美を感じるようになったのかもしれない。人は全て価値あるものに最終的には美を見出す存在であるように思われる。

 和について思い出話を一つ。私は1995年から98年まで家族と共にウィーンに住んだ。ウィーンの人たちとの数少ない付き合いの中で、キュングさん夫妻との会話が思い出される。キュングさん夫妻は日本に何年か住んだ経験をもつ。キュング夫人が、「日本人はConflict(争い、葛藤)の解決を私たちと全く違ったやり方でしている。私たちは戦う。」と言っていたのが印象深い。日本人は和を好み、和に美を感じるほどであるが、ヨーロッパ人は、自己の正義を主張して戦うことにより多くの価値(と美)を見出すようである。ヨーロッパ人の闘争精神は日本人よりはるかに強いように思われる。結果、ヨーロッパの歴史は日本とは比較にならない多くの戦争に満ちている。